膚の下 -神林長平

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚(はだえ)の下〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

膚の下 (下)

膚の下 (下)

「あなたの魂に安らぎあれ」「帝王の殻」に続く火星シリーズ第三部にして、完結編。タイトルは「はだえのした」と読む。相変わらずいい名前付けるなぁ。

三年前にハードカバーで出版はされていたものの、他が全て文庫版で揃えているため当時は購入を見送った。今回文庫化されたおかげでようやく読む機会を得られた。


本作は前作、前々作よりもさらに昔の時代……火星に人間がエクソダスしている時代を描いている。人間と、機械人と、そして人間によって作られたアートルーパーという人造人間。このアートルーパーたちの物語が今作だ。三部作とは言ってもそれぞれが全く違うキャラクター、背景の物語なので、どこから読んでも差し支えはないであろう。
人間によって、機械人間とのコミュニケーションのために作られた『人間に極めて似ていながら人間ではない』アートルーパーたち。主人公は慧慈という一人のアートルーパーである。環境が激変した地球から火星へのエクソダス(脱出)に反対している残留人たち。本来、脱出せず地球に残って復興にあたる機械人を監督する役目であったアートルーパーは兵士として訓練を受け、その残留人たちを“保護”するためにヨコハマへと赴く。そこで出会う一人の残留人の少女を通じて、主人公慧慈はアートルーパーとしての自分を自覚し始めた……


前二作よりも前の時代を描いているということで、前二作で残された多くの謎はこの一冊を持って一応の解決を見せる。アンドロイドが全て動物に変わってしまった現象、エンズビルの意味、何故支配する側の人間が地下に住んでいるのか、何故地上で生きられないのか、等々。
1200ページ超の物語は圧倒的。それでいて神林御得意のテンポの良い会話運びと進行(軽い、という意味ではないが。)のお陰で一気に読ませてくれる一冊となっている。


物語中で描かれているテーマは大きく変わった。何せ「あなたの魂に安らぎあれ」は25年近く前の物語だ。『グッドラック 戦闘妖精雪風』の時もそうであったが、文体も物語の方法論も異なる。
『グッドラック〜』『永久帰還装置』辺りから感じた極めて思弁的な物語進行は健在であり、このままこの方向に進むと、作者はキャラクターの思弁と会話だけで一本の物語を書いてしまいそうである。細かい情景描写はなし。どこでもキャラクターたちは論争モード。行動よりも思考がたっぷり先行する。そろそろ人物の背格好(これは昔もそうか。)と行動は全て読者の想像に任せてしまいそうな勢いだ。しかし同時にそれがとても洗練されていて、激しい舌戦で繰り広げられる論理展開は読んでいてカタルシスすら覚える。


本作のテーマは『少年の成長物語』であろう。生まれたばかりの存在が、世界を認識し、己に課された使命と向き合い、そして決別し、何かを創る物語だ。
少年は出てこないが、きっとそうだ。最近の作者の特徴でもある「組織は、集団は、それが生まれた時から自己の生き残りのために戦う」も含まれているだろう。もはや作者の持ち味だ。しかし作者本来の持つ『機械、人間、対話』は健在であり、本作は『人間、アートルーパー、機械人間』の三者が、アイデンティティを得るための戦いとも言える。


1200ページ超の物語の内容は、実は冒頭のエピグラフニ行が全て表している。
「われらはおまえたちを創った おまえたちは何を創るのか」
ニ行で語れるなら、わざわざ長々と本文を書く必要は無いのではないかという意見もあるかもしれないが、逆に言うと、この言葉に重みを付けるためにこれだけの物語を創り上げた作者の力量には本当に圧倒される。


5年前、初めて手に取った神林長平の小説は『完璧な涙』。そして二冊目はこの本の原点となる『あなたの魂に安らぎあれ』であった。読書がSFに傾倒するきっかけの一冊でもある。その時に味わった感覚を、SFのもつ面白さを再び蘇させてくれた一冊だ。


85点。